見るのではなく、神様に見てもらう――伊勢神宮で神楽をあげるということ
近々、伊勢神宮へお参りに行くことになった。
今回は、神楽殿で神楽をあげていただく。いわゆる「御神楽(おかぐら)」の奉納である。
せっかくなので、事前に少し調べておこうと思った。神楽とはそもそも何なのか。伊勢で神楽をあげるということには、どんな歴史があるのか。
調べていくうちに、ひとつ、はっとさせられたことがあった。
神楽は、私たちが見るためのものではなかった。
正面にいるのは、神様
伊勢神宮の神楽殿で御神楽が奏されるとき、正面は神座(かみくら)になっている。申し込んだ私たちは、舞を背後から見守る形になるのだという。
つまり、舞の観客は神様なのだ。
「神楽」はもともと「神遊び」とも呼ばれてきた。神様に楽しんでいただき、喜んでいただくための歌と舞。私たちはその場に同席させていただき、神様と同じ方向を向いて、同じ舞を拝見する。
そう考えると、舞の出来栄えを「鑑賞する」というのとは、少し心持ちが違ってくる。願いや感謝の気持ちを、舞と音楽に乗せて届けていただく時間――そう言ったほうが近いのかもしれない。
岩戸の前の舞から
神楽の起源は、神話の中にある。
天照大御神が天岩戸にお隠れになったとき、岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神懸りして舞った。それが神楽の始まりだと伝えられている。
伊勢神宮の内宮にお祀りされているのは、まさにその天照大御神である。
岩戸の奥の神様に向けて舞われたのが始まりなのだとしたら、神楽が最初から「神様に見ていただくもの」だったのは、ある意味で当然なのだろう。もちろんこれは神話の話であって、史実とは分けて考える必要がある。それでも、伊勢で神楽をあげるということに、不思議な縁を感じずにはいられない。
もともと、個人は奉納できなかった
意外だったのは、伊勢神宮では古来、誰もが神楽をあげられたわけではない、ということだ。
神宮には「私幣禁断(しへいきんだん)」という決まりがあった。天皇以外の者が神宮にお供えをすることは禁じられていたのである。皇后や皇太子であっても、お供えには天皇の許可が必要だったという。
それが変わり始めるのは、平安時代の末から鎌倉時代の初めごろ。神宮に祈りを届けたいという人々の求めに応じて、斎宮の離宮である離宮院(現在の伊勢市小俣町、JR宮川駅の近く)の河原殿で「臨時祭」が行われるようになった。
これは神前での公のお祭りではなく、個人の祈願を請け負って不定期に行われたもので、そこで神楽もあわせて奏された。神宮では、これが現在の御神楽の始まりと考えられている。
御師の屋敷で舞われた神楽
やがて離宮院が廃絶するのと前後して、「御師(おんし)」と呼ばれる神職たちが登場する。
御師は自分の屋敷に神楽殿を構えて祈祷を行い、また全国を巡って御神札や伊勢暦を配り、伊勢の信仰を広めていった。江戸時代には、その数は二千人を超えたといわれる。
全国の檀家が伊勢を訪れると、御師は屋敷に迎え入れ、宿や食事の世話をし、両宮の参拝を案内し、そして神楽を奉納させた。今でいえば、旅のコーディネーターのような存在だったのだろう。
江戸時代には「お蔭参り」が何度も大流行し、国民の6人に1人が伊勢を目指したとも言われる。『伊勢音頭』には「せめて一生に一度でも」と歌われた。
そのお伊勢参りで、人々がもっとも憧れたのが、伊勢で「大々神楽」を奉納することだった。
一生に一度の夢。
遠い村から何日もかけて歩いてきた人々が、御師の屋敷で神楽をあげてもらう。そのときの気持ちは、どんなものだったのだろう。
御師の廃止と、神宮の神楽殿
ところが明治維新で、その仕組みは一変する。
明治4年(1871)、御師の制度は政府によって廃止された。屋敷や財産は切り売りされ、御師の家はほとんど残らず、多くの資料も失われたという。
そのあとを受けて、神宮自身が祈祷を担うようになる。明治5年に内宮御祈祷所が設けられ、翌明治6年に初めて御神楽が行われた。これが、今私たちが申し込むことのできる御神楽・御饌の祈祷へとつながっている。
神楽の中心となる「倭舞(やまとまい)」も、この時期に姿を変えた。清和天皇の御代から宮中で舞われてきたこの舞は、本来は男子4人の舞だったが、神宮では明治時代に乙女舞に改められたのだという。
現在、神宮には専任の楽師がおよそ30人在籍し、楽器だけでなく歌も舞もこなしている。
舞に込められたもの
御神楽で舞われる倭舞では、緋色の長袴に白い千早をつけた舞女が、紅梅をさした天冠をいただき、五色の絹をつけた榊を手に、楽師の歌にあわせて舞う。
大々神楽になると、これに「人長舞(にんじょうまい)」が加わる。宮中の御神楽にある「其駒(そのこま)」という曲を、神楽人の長が舞うことからこの名がある。手には、御鏡を模した白い輪のついた榊。一人で、落ち着いた所作で舞われる。
宮中の御神楽は、平安時代の長保4年(1002)に内侍所で奏されてから毎年行われるようになったものだという。千年以上前から、神様をお迎えし、おもてなしするために続いてきた歌と舞である。
おわりに
調べる前は、神楽を「見に行く」ような気持ちでいた。
けれど今は、少し違う。
神楽の観客は神様で、私はその後ろに座らせていただく。かつて村人たちが一生に一度の夢として目指した場所に、今は個人でも直接お願いすることができる。それだけでも、ずいぶんありがたいことだと思う。
当日は、舞の美しさに見とれるのではなく――いや、きっと見とれてしまうのだろうけれど――まずは神様の後ろから、同じ方向を向いて、静かに手を合わせてみたい。
見るのではなく、神様に見ていただく。
そう思って神楽殿に座れば、江戸の人々が見た景色に、少しだけ近づけるような気がする。
もし伊勢で神楽をあげる機会があれば、ぜひ、正面にいらっしゃる"観客"のことを思い浮かべてみてほしい。
参拝後に実際の様子(当日の雰囲気や印象に残った場面)を冒頭や「おわりに」に加えると、前回の倭姫命の記事と並べて"伊勢シリーズ"として読みやすくなると思います。
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