美しい国を求めて――倭姫、伊勢へ至るまでの長い旅

 美しい国を求めて――倭姫、伊勢へ至るまでの長い旅

先日、伊勢神宮の成り立ちについてふと調べものをしていた。

きっかけは、伊勢神宮に天照大神を祀ったのは倭姫命(やまとひめのみこと)だったか、という何気ない疑問だった。答えは「伝承としてはそうだ」というものだった。ただ、調べていくうちに、その道のりが思っていたよりずっと長く、そして各地を転々としたものだったことを知った。

**宮中を出た神様**

伝承によれば、天照大神はもともと宮中で祀られていた。それを最初に外へ移したのは、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)である。行き先は大和の笠縫邑(かさぬいむら)。現在の奈良県桜井市、大神神社の摂社である檜原神社がその伝承地とされている。

ここでの奉斎は、記紀の年代記述を素直に読めば数十年におよぶ。宮中を離れた神様が、すぐに安住の地を得たわけではなかった。

**倭姫命に託された旅**

その後を引き継いだのが倭姫命だった。垂仁天皇の時代、彼女は鎮座にふさわしい地を求めて、近江、美濃、伊賀など各地を巡り歩く。

この巡幸の途中、一時的に天照大神が祀られたとされる場所は「元伊勢」と呼ばれ、今も全国に二十数か所の伝承地が残っている。

中でも有名なのが、京都府宮津市の籠神社(このじんじゃ)だ。丹後一宮であり、奥宮の真名井神社とあわせて、元伊勢の中でも特に格式が高いとされる。同じ京都府内には、福知山市大江町の皇大神社(こうたいじんじゃ)もある。こちらは通称「元伊勢皇大神社」といい、まさにその名を掲げる神社である。

三重県志摩市の伊雑宮(いざわのみや)は、現在は伊勢神宮の別宮の一つとなっているが、こちらも元伊勢伝承地として神宮との関わりが深い。

**「この国に居らむと欲ふ」**

長い巡幸の末、倭姫命は伊勢の五十鈴川のほとりにたどり着く。そこで天照大神から、こんなお告げがあったとされる。

この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜し国なり。この国に居らむと欲ふ。

――「美しい良い国だ、ここに居たい」。そう告げられて、ようやく旅は終わる。これが伊勢神宮(内宮)の創祀の伝承である。

記紀の年代表記だけを見れば、この巡幸自体は一、二年ほどの出来事のようにも読める。けれど、二十数か所も伝承地が残っているということ自体が、簡単には決まらなかった旅の長さを物語っているように思う。**地図の上でも、近江から美濃、伊勢へと、かなりの距離を巡っている。**

もちろんこれは神話であって、史実として確定した話ではない。伊勢神宮が実際にいつ成立したかについては、考古学的にも諸説がある。それでも、理想の地を探し続けたという物語には、どこか心を動かされるものがある。

**おわりに**

宮中を出た神様が、二代の皇女の手によって、幾つもの土地を経てようやく安住の地を得る。そう考えると、伊勢神宮という場所の重みが、少し違って見えてくる気がする。

もし伊勢神宮を訪れる機会があれば、内宮のそばにある倭姫宮(やまとひめのみや)にもぜひ立ち寄ってみてほしい。長い旅の果てに天照大神を導いた倭姫命自身が祀られている、内宮の別宮である。神様を導いた人を訪ねる、というのも、なかなか乙な参拝の仕方ではないだろうか。


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