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Showing posts from May, 2026

敗北からの教訓 一族郎党を守れなかった小山田信茂を訪ねて

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  はじめに —— 岩殿城の山を見上げて 先日、ふと山梨県大月市にある岩殿城のことが気になって、いろいろと調べ始めました。きっかけは些細なものでした。中央自動車道で山梨方面に向かうとき、大月のあたりで車窓から見える岩がちな険しい山。あれが岩殿城だと知ったとき、「あんな山の上に城を築いた人々がいたのか」と素朴に驚いたのです。 調べてみると、この城は戦国時代に小山田氏という一族の居城で、武田家滅亡の最終局面において、日本史上もっとも有名な「裏切り」の舞台になった場所でした。当主の小山田信茂 ( おやまだのぶしげ ) が、頼ってきた主君・武田勝頼を笹子峠で拒絶し、勝頼を天目山での自刃に追い込んだ —— その悲劇の現場だったのです。 「裏切り者」「逆臣」 —— 信茂はそう呼ばれて 400 年以上、歴史の中で軽蔑されてきました。けれど、調べを進めるうちに、私の中で疑問が膨らんでいきました。「本当にそれだけの話なのだろうか」と。 結論から言えば、この調べ物は私にとって、戦国の一エピソードを知る以上の体験になりました。信茂の生涯を追いかけることは、現代に生きる私たち自身の生き方を映し出す鏡だったのです。今回はその記録を、五つの章にまとめて綴ってみたいと思います。 第 1 章 岩殿城という難攻不落の山城 岩殿城は標高 634 メートル。スカイツリーとちょうど同じ高さの岩山の上に築かれた山城です。「甲陽軍鑑」では甲斐三名城のひとつに数えられ、戦国時代には東国でも屈指の堅城として知られていました。 地形的にも特異な城です。頂上の南側直下は鏡岩と呼ばれる礫岩 ( れきがん ) の崖が約 150 メートルもそそり立ち、その下を桂川が削り取るように流れています。攻める側からすれば、これほど厄介な城はありません。実際、この城を治めていた小山田氏は、武田家臣団の中でも「半独立的な国衆」として強い自主性を保っていました。 ここで重要なのは、小山田氏が単なる「家臣」ではなかったという点です。彼らは鎌倉時代から続く都留郡 ( つるごおり ) の領主で、信玄の父・信虎の時代に武田家に従うようになった「国衆」でした。国衆と戦国大名の関係は、現代でいえば本社と独立系子会社のような、双務契約的なものです。軍役を提供する代わりに、領地・領民を守ってもらう —— そういう約束で...

古代の神話からわかる茨城の魅力——茂木誠先生の講演で気づかされたこと

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はじめに——飛び出した故郷へ、40年越しの帰郷 私は茨城で生まれ育ちました。 そして40年前、私はその土地を飛び出しました。「田舎で何もない」——若かった私には、それが本心からの実感でした。都会に憧れ、広い世界に出たくて、振り返ることなく故郷を後にしたのです。 それから長い年月が流れました。仕事を続け、人生を重ね、気がつけば年齢を重ねていました。そして不思議なことに、最近になって 茨城のことが気になって仕方なくなってきた のです。歴史を調べるほど、土地の物語を知るほど、「 もしかして茨城って、本当はすごいところだったんじゃないか 」という思いが強くなっていきました。 そんな折に出会ったのが、世界史講師・YouTuberとして知られる 茂木誠先生 の講演会でした。テーマは「筑波山と古代日本」。会場で語られたのは、私の知っている教科書的な日本古代史とはまったく違う風景でした。 茂木さんは、新井白石が「日高見国は常陸国にあった」と論じていたこと、筑波山がイザナギ・イザナミの神話の舞台だったこと、つくば市の蚕影(こかげ)神社が全国の養蚕神社の総本山であること——茨城が古代日本にとって 周縁ではなく中心 だった可能性を、次々と提示していきました。 聞きながら、私は何度も心の中で呟いていました。「 私はこの土地のことを、何も知らないまま飛び出していたのか 」と。 40年前の私は、茨城を「何もない田舎」と決めつけていました。でも本当は、何もなかったのではなく、 私が知らなかっただけ だったのです。1300年前の文学があり、神話の聖地があり、国譲りの神々が眠る土地——その豊かさに、40年経ってようやく気づいた。 日本人は自分たちの良いところをアピールするのが苦手だと言われます。地方に生まれた人ほど、「自分の故郷は田舎で何もない」と思い込んでしまいがちです。かつての私自身がそうでした。だからこそ、こうして気づいた魅力はきちんと言葉にして、共有していきたい。同じように故郷を離れた誰かに、あるいは今まさに「ここには何もない」と感じている若い誰かに、届けたい。 そんな思いで、講演で出会った魅力と、私自身が調べて知った茨城の古代史的な見どころを、五つの章にまとめてみました。40年越しの、故郷への帰郷の記録として、お付き合いいただければ嬉しいです。 第1章 常陸国風土記——1300年前の茨城が...

The Quiet Demise of Asia's Once-Largest Trading Floor

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  There's a building in my neighborhood — Shiohama 2-chome in Tokyo's Koto Ward — that is, or rather was , something remarkable. Today it stands wrapped in blue construction netting, being quietly dismantled.  A distinctive curved-glass facade. The kind of slightly futuristic design that 1980s Japanese office buildings carried with such confidence. I used to walk past it without a second thought. But how many people know that this was once called "the largest in Asia"? A Dream the Size of a Soccer Field  In May 1988, at the peak of Japan's bubble economy, Sanyo Securities completed its trading center here. At roughly 6,400 square meters, with 800 dealers able to trade simultaneously, it was hailed as the largest in Asia (literally, "Number One in the Orient" — Toyo-ichi — in the Japanese press of the time).  The floor was twice the size of the Tokyo Stock Exchange's trading floor — a full soccer pitch would fit inside. Three thousand state-of-the-ar...

ひっそりと姿を消す東洋一のトレーディングセンター

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 家の近所、江東区塩浜2丁目に、ある建物がある。いや、「あった」と書くべきかもしれない。今、青いネットに覆われて、ひっそりと解体されている最中だ。 特徴的な曲面ガラスのファサード。  1980年代のオフィスビルらしい、少し未来的なデザイン。普段は通り過ぎるだけの建物だったが、ここがかつて「東洋一」と呼ばれた場所だったことを、どれだけの人が知っているだろう。    サッカー場が入る広さの夢  1988年5月、バブル景気の真っ只中、ここに三洋証券のトレーディングセンターが竣工した。広さ約6,400平方メートル、最大800人のディーラーが同時に取引できる規模で、当時「東洋一」と謳われた。 東京証券取引所の立会場の約2倍、サッカー場がすっぽり入る広さのフロアに、最新鋭のコンピュータ端末が3000台。壁には巨大モニターが並び、世界中の市場動向が24時間映し出されていた。仮眠室まで完備し、世界の市場が止まらない時代に備えた。  社長の土屋陽一氏は野村證券出身で、コンピュータによる証券業の近代化を信じていた。「未来を見据える証券会社・三洋証券」と週刊ダイヤモンドは報じた。日本がジャパンマネーで世界を席巻していた、あの時代の象徴だった。 戦後初の証券会社倒産  しかし夢は長くは続かなかった。バブル崩壊後、不動産投資の失敗と系列ノンバンクの不良債権処理が重くのしかかる。皮肉なことに、誇りだったコンピュータ投資自体も負担となった。1992年3月期から6期連続の赤字。  1997年11月3日、三洋証券は会社更生法を申請。戦後初の証券会社倒産だった。そして、その10億円のコール市場でのデフォルトが、日本の金融システムへの信用を一気に失墜させる。11月15日に北海道拓殖銀行が破綻、22日には山一證券が自主廃業。日本の金融危機の引き金を引いたのは、まさにこの塩浜のビルの主だったのだ。 TISによる第二の人生  建物は2000年、東洋情報システム(現・TIS)が買収。IT革命の真っ只中、データセンターとして生まれ変わった。当時のTIS社長は日経のインタビューでこう語っている。「都心近くにある上に、耐震設備も完備している旧・三洋証券ビルを手に入れられたのは幸運でした」。  トレーディングフロアに求められた床荷重、電源、空調、通信回線。これらはそのままデータセンターの要件と重...

Founded 1,300 years ago to honor immigrants from the ancient Korean kingdom of Goguryeo, this shrine is far more than just a historic site.

ENGINEER'S NOTEBOOK ── A Lifelong IT Engineer's Journey VOL. SHRINE JOURNEY / 2026.05 JOURNEY & REFLECTION What 1,300-Year-Old Immigrants Can Teach Modern Japan ── A Visit to Koma Shrine in Hidaka, Saitama » 2026/05/17 ENGINEER'S NOTEBOOK I recently visited Koma Shrine (高麗神社) in Hidaka City, Saitama Prefecture. Founded 1,300 years ago to honor immigrants from the ancient Korean kingdom of Goguryeo, this shrine is far more than just a historic site. What it preserves is── a grand and successful story of cross-cultural coexistence . And now, after my visit, I find myself thinking: this story carries crucial lessons for today's Japan, a nation grappling with population decline and the integration of foreign workers. 01 The Story of a King Who Lost His Homeland The history of Koma Shrine reaches back to the turbulent East Asia of the 7th century. From around 37 BCE to the late 7th century, the powerful kingdom of Goguryeo flouri...
1300年前の渡来人から学ぶ、これからの日本の共生のかたち ─ 埼玉・高麗神社を訪ねて VOL. 神社訪問記 / 2026.05 JOURNEY & REFLECTION 1300年前の渡来人から学ぶ、これからの日本の共生のかたち ── 埼玉県日高市・高麗神社を訪ねて » 2026/05/17 ENGINEER'S NOTEBOOK 埼玉県日高市にある 高麗神社(こまじんじゃ) を訪ねてきました。 創建1300年、高句麗からの渡来人を祀るこの神社は、単なる古社ではありません。 そこには―― 異文化共生の壮大な成功物語 が刻まれていました。 そして参拝を終えた今、その物語は、人口減少と外国人労働者の受け入れに揺れる現代日本にこそ、重要な示唆を与えてくれるのではないか――そう感じています。 01 祖国を失った王の物語 高麗神社の歴史は、7世紀の東アジア情勢にまで遡ります。 紀元前37年ごろから7世紀にかけて、中国東北部から朝鮮半島北部に栄えた大国―― 高句麗(こうくり) 。 しかし7世紀後半、唐と新羅の連合軍に挟み撃ちにされ、668年に滅亡しました。 その中の一人が、主祭神となる 高麗王若光(こまのこきしじゃっこう) です。 若光は高句麗からの使節として日本に派遣されましたが、滞在中に祖国が滅亡。二度と故郷の土を踏むことができないまま、日本にとどまることになりました。 そして716年(霊亀2年)―― 大和朝廷は駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7か国に住んでいた高句麗人 1799人 を武蔵国に集め、「 高麗郡 」を設置します。 若光は初代の郡長に任命され、未開の武蔵野の開拓に生涯を捧げました。 若光の死後、その遺徳を偲んで建てられたのが――高麗神社です。 02 立派な鳥居と「出世明神」の伝説 参道に立つと、青空に映える立派な鳥居と「高麗神社」と刻まれた社号標が出迎えてくれます。 境内は手入れが行き届き、1300年の歴史を持つ古社でありながら、清々しい空気に満ちています。 この神社は 「出世明神」 としても全国的に知られています。 理由は―― 大正時代以降、参拝した政治家が次々と総理大臣に就任したからで...

わずか2kmに凝縮された江戸の宇宙:深川「寺町」散歩で見つけた5つの驚き

  1. 現代のオシャレ街に隠された「江戸の迷宮」への招待 清澄白河の街を歩けば、焙煎されたばかりのコーヒーの香ばしい匂いが漂ってきます。「東京のブルックリン」と称されるこのエリアは、今や洗練されたカフェ文化の代名詞。しかし、そのモダンな建物の合間に、ふと重厚な寺院の山門が現れることに気づくはずです。 ここはかつて、多くの寺院が集められた「寺町」でした。今回ご紹介するのは、江東区が提唱する**「深川寺町・深江戸コース」**。スタート地点の「深川東京モダン館」からゴールの「深川江戸資料館」まで、わずか2km、約2時間半の道のりです。 なぜ今、この場所を歩くべきなのか。それは、この短い距離の中に、世界地図に名を刻んだ探検家、日本初の職業作家、そして歴史を動かした政治家たちの足跡が、驚くほど高密度に凝縮されているからです。カフェ巡りの合間に、江戸の宇宙へと迷い込んでみませんか? 知的好奇心を刺激する、5つの驚きがあなたを待っています。 -------------------------------------------------------------------------------- 2. 驚き1:日本初の「ハイテク説法」?深川ゑんま堂の意外すぎる仕掛け 清澄通り沿いで目を引くのが、真言宗豊山派の古刹、**法乗院(深川ゑんま堂)**です。一歩足を踏み入れれば、そこには圧倒的な迫力が待ち受けています。 威圧感と驚きの融合 鎮座するのは、全高3.5m、全幅4.5mという日本最大級の閻魔大王座像。その鋭い眼光は、歌舞伎の名作『髪結新三』の舞台としても知られる歴史の重みを物語ります。しかし、この閻魔さま、ただ威厳があるだけではありません。 「お賽銭を入れると閻魔さまの説法が音声で流れる、日本初のハイテク閻魔。」 賽銭口は「家内安全」「ぼけ封じ」など19種類のご祈願別に分かれています。コインを投入した瞬間、堂内は色鮮やかにライトアップされ、閻魔大王が直接説法を授けてくれるのです。アナログな信仰と最新の仕掛けが同居するこの光景こそ、江戸っ子の遊び心と革新性の象徴といえるでしょう。 -------------------------------------------------------------------------------- 3. 驚き2:世界地図に「...