ひっそりと姿を消す東洋一のトレーディングセンター

 家の近所、江東区塩浜2丁目に、ある建物がある。いや、「あった」と書くべきかもしれない。今、青いネットに覆われて、ひっそりと解体されている最中だ。 特徴的な曲面ガラスのファサード。

 1980年代のオフィスビルらしい、少し未来的なデザイン。普段は通り過ぎるだけの建物だったが、ここがかつて「東洋一」と呼ばれた場所だったことを、どれだけの人が知っているだろう。 

  サッカー場が入る広さの夢
 1988年5月、バブル景気の真っ只中、ここに三洋証券のトレーディングセンターが竣工した。広さ約6,400平方メートル、最大800人のディーラーが同時に取引できる規模で、当時「東洋一」と謳われた。


東京証券取引所の立会場の約2倍、サッカー場がすっぽり入る広さのフロアに、最新鋭のコンピュータ端末が3000台。壁には巨大モニターが並び、世界中の市場動向が24時間映し出されていた。仮眠室まで完備し、世界の市場が止まらない時代に備えた。



 社長の土屋陽一氏は野村證券出身で、コンピュータによる証券業の近代化を信じていた。「未来を見据える証券会社・三洋証券」と週刊ダイヤモンドは報じた。日本がジャパンマネーで世界を席巻していた、あの時代の象徴だった。

戦後初の証券会社倒産
 しかし夢は長くは続かなかった。バブル崩壊後、不動産投資の失敗と系列ノンバンクの不良債権処理が重くのしかかる。皮肉なことに、誇りだったコンピュータ投資自体も負担となった。1992年3月期から6期連続の赤字。

 1997年11月3日、三洋証券は会社更生法を申請。戦後初の証券会社倒産だった。そして、その10億円のコール市場でのデフォルトが、日本の金融システムへの信用を一気に失墜させる。11月15日に北海道拓殖銀行が破綻、22日には山一證券が自主廃業。日本の金融危機の引き金を引いたのは、まさにこの塩浜のビルの主だったのだ。

TISによる第二の人生
 建物は2000年、東洋情報システム(現・TIS)が買収。IT革命の真っ只中、データセンターとして生まれ変わった。当時のTIS社長は日経のインタビューでこう語っている。「都心近くにある上に、耐震設備も完備している旧・三洋証券ビルを手に入れられたのは幸運でした」。

 トレーディングフロアに求められた床荷重、電源、空調、通信回線。これらはそのままデータセンターの要件と重なった。3000台の証券端末を支えた建物は、今度はインターネット時代のサーバーを抱える施設となった。

 それから四半世紀。ここはTIS東京第3センターとして、日本のIT基盤の一角を支え続けた。

そして今、ひっそりと
 2026年春、解体が始まった。事業主は三井不動産レジデンシャル。隣接する旧・中央自動車学校跡地には18階建ての賃貸マンション「ブルックサイドレジデンス木場」が完成し、ちょうど入居が始まったところ。1階にはカスミがスーパーを開店準備中だ。

 塩浜2丁目は今、街そのものが世代交代の只中にある。少し南ではヒューリックが新しいデータセンターを建設中で、近隣の千石3丁目にもAI対応データセンターが計画されている。データセンターと住宅が、限られた土地と電力をめぐって共存していく時代になった。

38年の終わりに
 考えてみれば、この一画は日本の戦後経済の縮図だ。バブル金融(三洋証券)から、IT革命(TIS)を経て、住宅とAI(マンションとデータセンター)へ。同じ土地が、時代の主役を順番に引き受けてきた。

 東洋一を謳って華々しく登場した建物は、誰にも見送られることなく、今ひっそりと姿を消そうとしている。バブル絶頂の夢も、ITバブル黎明期の野心も、すべてを呑み込んで建っていた38年。

 青いネットの向こうで、作業員の方が高所で作業をしている。記録しておきたい、と思った。



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