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Showing posts from July, 2026

岩崎城 ― 徳川家康の危機を救い、その後の躍進のきっかけの一つとなった16歳の武将、丹羽氏重の戦い

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  はじめに 戦国時代、歴史の転換点にはしばしば無名に近い武将の奮闘があった。天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いのさなかに起きた「岩崎城の戦い」もその一つだ。主役は、わずか16歳で城と兵239人の命運を背負った若き武将、丹羽氏重(にわ うじしげ)である。 病をおして城を守った若者 永禄12年(1569年)、丹羽氏勝の子として生まれた氏重は、尾張国の傍示本城主だった。兄・丹羽氏次が徳川家康に従軍して岩崎城を離れることになった際、代わりに城の守備を任されたのが氏重である。 このとき氏重は痘瘡(天然痘)を患っていたという。本来なら療養に専念してもおかしくない状況で、彼は城主代理としての務めを引き受けた。 素通りされるはずだった城 豊臣秀吉軍の池田恒興・森長可らが率いる三河奇襲部隊は、当初、小城に過ぎない岩崎城には構わず素通りするつもりだったとされる。しかし氏重はこれを黙って見過ごさなかった。 「見過ごすは末代までの恥」 「敵の動きを小牧山は未だ知らないであろう。われらが敵を食い止め討死すれば、必ず小幡城には聞こえる。また、小牧にも知らせが届こう」 氏重は城兵239人にこう告げ、討死を覚悟の一戦を命じたと伝わる。自らの命よりも、味方に敵の動きを伝えることを優先した決断だった。 三度の撃退、そして討死 岩崎城側は池田軍の攻城隊を三度にわたり撃退するなど、寡兵ながらよく戦った。しかし、新たに戦線に現れた森長可軍の銃撃に怯んだ隙をつかれ、氏重は討ち取られてしまう。享年16。 その最期を知った榊原康政は、兄・氏次に「氏重殿以下、ご立派な最後。仇はこの一戦で必ず討ち果たしましょうぞ」と伝令を送ったという。 家康の危機を救った一戦 この岩崎城での抵抗は、単なる局地戦では終わらなかった。奇襲部隊の足止めは、秀吉軍の動きを織田・徳川方に察知させる一因となり、小牧・長久手の戦いにおける織田・徳川軍の勝利に貢献したとされる。 もし奇襲部隊がそのまま素通りし、家康の本国が無防備な状態で突かれていたら、戦局は大きく違った展開を見せていたかもしれない。氏重の決断は、家康の戦略的な危機を救う結果につながったのである。 その後の家康の躍進、そして重なる幸運 小牧・長久手の戦いののち、家康は秀吉と和睦する。だが秀吉はその後も...

報われなかった武将、報われた土地——稲付城で太田道灌を思う

 東京都北区赤羽。駅の西口を出て少し歩くと、急な石段が現れる。 上りきったところにあるのが、静勝寺(じょうしょうじ)。実はここ、室町時代の武将・太田道灌(おおたどうかん)が築いたと伝わる稲付城(いなつけじょう)の跡地だ。 道灌といえば、江戸城を築いた人物として知られている。だが、道灌が関東に築いた城は江戸城だけではない。この稲付城もその一つだ。そして境内の道灌堂には、今も道灌の木像が祀られている。もし道灌が――正確には、この木像が――今の東京を「見て」いるとしたら、いったい何を思うだろう。それを確かめに、現地へ行ってみることにした。 道灌という男 太田道灌は1432年に生まれ、1486年に世を去った。相模・武蔵を治めた扇谷上杉家の家宰(家老)を務め、享徳の乱や長尾景春の乱といった関東の戦乱で、優れた戦術家として名を馳せた。 そして何より、1457年に江戸城を築いたことで知られる。当時の江戸は、入江に面したただの漁村に過ぎなかった。そこに城を築いた道灌の判断が、150年以上のちに徳川家康の入府、そして江戸・東京という大都市の礎につながっていく。 しかし道灌自身は、その繁栄を見届けることはできなかった。主君・扇谷上杉定正に謀反を疑われ、1486年、暗殺される。「当方滅亡」――自分が滅びれば扇谷上杉家も滅びる――という言葉を遺したと伝えられ、実際その後、扇谷上杉家は衰退の一途をたどった。武将としても歌人としても一流と評された男の、あまりに呆気ない最期だった。 江戸城と岩槻城をつなぐ中継地点 稲付城は、道灌が江戸城と岩槻城(現在の埼玉県さいたま市)との中継地点として築いたと伝わる城だ。岩槻街道(鎌倉街道)の要所に位置し、江戸城の守備を固めるための拠点だったとされる。 道灌の死後は孫の太田資高が居城し、後に後北条氏に仕えることになる。さらにその子・康資も岩淵郷五ヶ村を所領とし、太田氏はここに三代にわたって根を張った。豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏が滅び、徳川家康が江戸に入ると、稲付城は役目を終えて廃城になったという。 現地に立ってわかる、地形の意味 赤羽駅から歩いて実感するのは、この土地の高低差だ。武蔵野台地は道灌山・飛鳥山あたりから北へ、京浜東北線に沿うように細長い崖線となって続いている。その台地が赤羽で荒川にぶつかり、...

12年に一度しか開かない扉がある──秩父午歳総開帳、真夏の徒歩巡礼へ

 先日、秩父に日帰り巡礼に行ってきた。 西武秩父駅に降り立ったのは朝8時14分。7月の朝とはいえ、盆地特有の空気がすでにじわりと重い。でも足取りは軽かった。今年は「午歳(うまどし)」。12年に一度しか訪れない、特別な年だから。 「午歳総開帳」とは何か 秩父には三十四か所の観音霊場がある。「西国三十三か所」「坂東三十三か所」と並んで日本百観音霊場のひとつに数えられる、由緒ある巡礼路だ。 その34の札所が、午歳に一斉にご本尊を公開する──それが「午歳総開帳」。開催は12年に一度。普段は厨子の奥に厳重に安置されていて、誰も目にすることのできないご本尊の観音様に、この期間だけ直接手を合わせることができる。 秩父札所の開創は元仁元年(1224年)、午年の3月18日とされている。だから総開帳は午歳に開かれる。約800年前から続く、この土地の約束だ。 2026年の開催期間は3月18日から11月30日まで。今回は真夏の7月に、西武秩父駅から歩いて回れるコースを選んだ。 8:25 野坂寺──蓮の花が迎えてくれた 駅から徒歩10分ほどで12番・野坂寺に着く。 重厚な黒い楼門をくぐると、まず目に飛び込んでくるのが蓮の花だ。7月はちょうど見頃で、境内の池が淡いピンクで埋まっていた。「花の寺」と呼ばれる所以がよくわかる。 享保年間(1716〜1735年)に建てられた楼門に並ぶのは、地獄の十王たちの像。入り口からしてただならぬ気配だが、境内に入ると一転、庭園が美しく整えられた静かな空間が広がる。 午歳総開帳では、本堂の前に回向柱が立てられ、五色の御手綱が結ばれていた。その綱を握ると、ご本尊・聖観世音菩薩と縁を結ぶことができる。列に並んで、綱をそっとつかんだ。不思議と、手のひらに温もりのようなものを感じた気がした。 9:05 祭の湯みやげ市──巡礼グッズはここで 野坂寺を出て、来た道を戻るように西武秩父駅方向へ。駅直結の「祭の湯みやげ市」に9時の開店に合わせて立ち寄る。 白衣、輪袈裟、納経帳。巡礼に必要なものはひと通りここで揃う。秩父銘仙のハンカチや、イチローズモルト、秩父麦酒など、帰りのお土産の目星もついでにつけておく。 観光地の土産物屋とは少し違う。地場の野菜や加工品が並ぶ棚には、秩父の日常がある。 9:45 ち...

鷲宮神社にて——境内に散らばる神々と、母の偉大さを感じた息子の物語

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  先日、以前このブログで書いた鷲宮神社に、実際に足を運んでみた。 敷地は思っていたよりずっと広く、社殿も堂々としていた。そして何より印象的だったのは、本殿だけでなく、境内のあちこちに数多くの境内社が点在していたことだった。一つ一つの社に手を合わせながら、ふと「これはもしかして、出雲神話をまるごと歩いて回っているのではないか」という気がしてきた。 境内に勢揃いした神話の登場人物たち 鷲宮神社の主祭神は、大己貴命(大国主神)、天穂日命、武夷鳥命。だが境内社を見て回ると、そこには国譲り神話に連なる神々がずらりと並んでいた。 素戔嗚尊——大己貴命の祖先にあたる神。八岐大蛇を退治したあの神が、出雲の血筋の始まりだったことを思うと、感慨深い。 諏訪大社の系統から、建御名方神。大己貴命の息子でありながら、国譲りの際に力比べで敗れ、諏訪まで逃げてそこに鎮まったという、神話の「敗者」だ。 そして鹿島神宮の武甕槌神。まさにその建御名方神を打ち負かし、国譲りを実現させた「勝者」である。敵味方だったはずの二柱が、同じ境内に並んで祀られている。神話の対立が、時を経て静かに和解し、統合されている——そんな景色を見た気がした。 八幡神社には応神天皇。これは出雲の血筋とは直接関係がない。だが後で調べてみると、応神天皇を神格化した八幡神は、源氏の氏神そのものだった。境内に残る源頼朝お手植えと伝わる「もっこく」の木、源義家の「駒つなぎのさくら」——これらの伝承と八幡神社は、バラバラの言い伝えではなく、河内源氏一族による代々の崇敬という一本の線でつながっていたのだと気づいた。出雲系の古い信仰の土台の上に、時代が下ってから武家の信仰が重なっていく。この神社の境内は、そんな信仰の地層が、埋もれずにそのまま露出している場所だったのだ。 そして、神明神社に祀られていた天照皇大神 境内社の中に、天照皇大神を祀る神明神社もあった。この時はまだ気づいていなかったのだが、後になって、この神様が実は主祭神・天穂日命の母神にあたることを知った。 天穂日命は、天照大神と素戔嗚尊の「うけい」の際、天照大神の勾玉から生まれた神とされる。国譲り神話では、地上の国を治めるべく最初の使者として、母である天照大神から出雲へ送り出された。ところが天穂日命は、出雲の主・大己貴命の人徳にすっかり心服してしまい、3年経っても高天原に何...