一人では、食事もままならぬ――五百年後に呼ばれた神様
一人では、食事もままならぬ――五百年後に呼ばれた神様
先ほど、伊勢神宮の内宮と、倭姫命が長い旅の末にたどり着いたという話を書いた。
書き終えて満足していたのだが、ふと気になった。伊勢神宮には、内宮のほかに外宮がある。祀られているのは豊受大神(とようけのおおかみ)。でも、天照大神が伊勢に鎮座したとき、この神様はまだそこにいなかったらしい。
調べてみると、そこには**五百年という時間の隔たり**があった。
**一人残された神様**
倭姫命が天照大神を伊勢の五十鈴川のほとりに鎮座させてから、長い年月が流れた。
内宮には、たしかに天照大神がいらっしゃる。けれど、そこには誰も食事の世話をする者がいなかった。
神様にも、食事がいる。
**夢枕に立った神**
時代は下って、第21代・雄略天皇の御代。伝承によれば西暦478年頃のこととされる。
ある夜、天皇の夢枕に天照大神が現れた。そしてこう告げたという。
自分一人では、食事も安らかにできない。丹波国比沼真奈井(たんばのくにひぬまない)にいる私の御饌の神、等由気大神(とゆけのおおかみ)を、近くに呼び寄せてほしい。
同じお告げは、皇大神宮の宮司であった大佐々命(おおさざのみこと)にも下ったという。**一人ではない、二人が同じ夢を見た**、というところに、この話の不思議さがある。
**丹波から伊勢へ**
呼び出された豊受大神は、もともと丹波国――現在の京都府北部――の比沼真奈井の地に祀られていた神だった。
この地には今も、比沼麻奈為神社(京丹後市)や、真名井神社(籠神社の奥宮)といった社が残る。丹波から伊勢へ向かう途中、しばらく留まったと伝わる場所には、福知山市大江町の豊受大神社が建てられた。今も「元伊勢外宮」と呼ばれている。
丹波から伊勢の度会(わたらい)、山田の原へ。長い道のりを経て、豊受大神はようやく天照大神のもとにたどり着いた。これが、伊勢神宮外宮の始まりとされている。
**五百年越しの呼びかけ**
内宮に天照大神が鎮座してから、外宮に豊受大神が迎えられるまで。伝承の年代をそのまま数えれば、実に五百年ほどの隔たりがある。
以前、大洗の神様たちの話を書いたことがある。父神・大己貴命が磯に降り立ってから、息子神・建御名方命の霊木が海を漂着するまで、900年。今回の五百年は、それよりは短い。けれど、**「一人では寂しい、食事もままならない」と、遠く離れた神を呼び寄せた**というところに、どこか通じるものを感じる。
もちろんこれも神話であり、史実として確定した年代ではない。『止由気宮儀式帳』という、804年に書かれた外宮側の社伝にもとづく話である。それでも、長い時間を経て呼び寄せられた神様がいる、という筋書きには、素直に心が動く。
**おわりに**
内宮と外宮。今では並んで参拝するのが当たり前になっているこの二つの宮も、伝承をたどれば、五百年の隔たりを経て一つになった場所だった。
もし伊勢神宮を訪れる機会があれば、内宮だけでなく外宮にも、そして丹波の地に残る元伊勢外宮・豊受大神社にも、足を延ばしてみてほしい。**一人で待っていた神様を、遠くから呼び寄せた**――そんな物語を思い浮かべながら参拝すると、いつもとは少し違う伊勢が見えてくるかもしれない。
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