二千年前の一杯の水――大湊、鷲ヶ浜の伝承

 冷たい水一杯が、今も法被の背中に――大湊と倭姫命

前回の記事を読んでくださった方から、こんなコメントをいただいた。

20年に一度の式年遷宮、お木曳き。神領民である大湊の法被の背中には「鷲」の文字が入っている。この鷲の物語にも、倭姫宮が登場する――と。

初めて聞く話だった。さっそく調べてみた。

水を求めた旅の途中

倭姫命は、天照大神を奉じて伊勢の地へ向かう長い旅の途中、伊勢の**大湊(おおみなと)**に立ち寄ったという。

喉が渇いていたのだろう。倭姫命は、この地で水を求めた。

鷲取りの翁

そのとき、大湊に住んでいたのは、鷲取りを生業とする一人の翁だった。

翁は冷たい水を汲み、倭姫命に差し上げた。

たったそれだけの、ささやかな出来事だ。けれど倭姫命はたいそう喜んだという。そしてこの浜に、翁にちなんだ名を与えた。

「鷲取りの小浜」

この浜は今も**鷲ヶ浜(わしがはま)として、大湊の地に残っている。水を差し上げたという故事にちなみ、この地には水饗社(みあえしゃ)**という社も定められたと伝わる。

二千年近く経った今も

ここまでなら、元伊勢と同じように「昔、こんな言い伝えがある土地です」という話で終わってもおかしくない。

けれど、この話には続きがある。

式年遷宮という、20年に一度、社殿を新しく建て替える伊勢神宮最大の行事がある。その中で、新しい社殿の用材となる御用材を、大勢の人の手で運び入れる神事を**お木曳き(おきひき)**という。

このお木曳きに参加する神領民の中に、大湊の人々がいる。彼らが身にまとう法被の背中には、**「鷲」**の一文字が染め抜かれている。

倭姫命に冷たい水を差し上げた、あの鷲取りの翁の物語が、今もこうして法被の意匠として受け継がれているのだ。

物語が、今も歩いている

これまで書いてきた元伊勢の話も、豊受大神の話も、遠い昔にいったん完結した物語だった。

でも大湊の鷲の物語は違う。今も式年遷宮のたびに、大湊の人々が背中にその文字を背負って、御用材を曳いている。二千年近く昔の、たった一杯の水のやり取りが、今この瞬間にも、伊勢の町を歩いているということになる。

おわりに

もし式年遷宮のお木曳きを目にする機会があれば、法被の背中にも、ぜひ注目してみてほしい。「鷲」の文字を見つけたら、それは大湊の神領民であり、遠い昔、倭姫命に冷たい水を差し上げた翁の子孫たちである、ということになる。

神話は、必ずしも本の中だけの話ではないらしい。時には、法被の背中を通して、今も歩き続けている。

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