知ってから動く国――「シラス」という古い言葉のこと

 「日本人は自己主張しない」

海外の人と話していると、ときどきそう言われる。

確かに、会議ですぐには意見を言わない。 その場で「イエス」とも「ノー」とも言わず、いったん持ち帰ることも多い。

でも、私はずっと小さな違和感を抱えていた。

主張しないのではない。 まず相手を知り、状況を知ってから動こうとしているだけではないか――と。

そんなことを考えていたとき、ひとつの言葉に出会った。

「日本はシラス国である」

『古事記』にさかのぼる、とても古い言葉だ。

国譲りの浜で

舞台は出雲。 今の稲佐の浜とされる海辺だ。

『古事記』によれば、天照大御神の使者として建御雷神(タケミカヅチ)がこの浜に降り立つ。 剣を波の上に逆さに突き立て、その切っ先にあぐらをかいて、国の主である大国主神にこう告げた。

「汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知らす国ぞ」

あなたが「うしはく」しているこの国は、わが御子が「しらす」国である――。

ここで、「治める」を意味する言葉が二つ使われている。

  • ウシハク(領く):土地や人を、自分のものとして支配すること
  • シラス(知らす・治す):もとは「知る」の尊敬語。知ることによって治めること

もちろん、これは神話だ。 実際にこの浜でそんなやり取りがあったわけではない。

それでも、古代の人々が「治める」ことに二つの言い方を持っていた―― そのこと自体が、私にはとても興味深く思えた。

井上毅が見つけたもの

この二つの言葉の違いに、真剣に向き合った人物がいる。

明治の法制官僚、井上毅(いのうえ・こわし)。 伊藤博文のもとで、大日本帝国憲法の起草に深く関わった人だ。

もともとは西洋の法律を学んだ人だった。 しかし憲法をつくるにあたって、彼は日本の古典に立ち返る。 『古事記』や、本居宣長の『古事記伝』を読み込んだ。

そこで井上は、あることに気づく。

天照大御神や天皇に関わる場面では「しらす」。 大国主神をはじめ、各地の豪族の場面では「うしはく」。 二つの言葉が、きちんと使い分けられている――と。

井上の説明はこうだ。

「うしはく」は、西洋でいう「支配」と同じ。 一方の「しらす」は「知る」から来ている。 治める者がまず民の喜びや悲しみ、願いを知り、それを鏡のようにわが心に映して治めること。

そして井上は、この「しらす」こそが日本という国の本質だと考えた。

――ただし、ここは少し立ち止まっておきたい。 これはあくまで井上毅による解釈だ。 古代の人々が本当にそこまで明確な理念の違いを込めて使い分けていたのか。 研究者の間でも、慎重な見方がある。

憲法第一条になりかけた言葉

井上は、この「しらす」を憲法そのものに書き込もうとした。

彼が用意した第一条の草案は、こうだった。

「日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(しら)ス所ナリ」

しかし伊藤博文から異論が出る。 最終的に、明治22年(1889年)に公布された条文はこうなった。

「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」

「治ス」は「統治ス」に置き換えられた。

それでも井上は、あきらめなかったのだと思う。 伊藤博文の名で出された解説書『憲法義解』には、天皇の統治とは私的な支配ではなく、徳によるものだという趣旨が書かれている。 「統治」という漢語の奥に、「しらす」の心を残そうとした――そう読むこともできる。

もっとも、井上の考えが実際の憲法にどこまで生きたのか。 これについては、今も議論がある。

「知る」ことから始まる人たち

さて、冒頭の違和感に戻りたい。

日本人は、まず相手を知り、場を知ってから動く。 それは「シラス国」だからなのだろうか。

正直に言えば、そう言い切ることはできない。

「シラス」と「ウシハク」の区別を論じたのは、国学者や井上毅のような、ごく限られた知識人だった。 江戸の町人や村の農民が、この理念を意識して暮らしていたわけではない。

それに、日本人の「まず様子を見る」傾向には、ほかにも説明がある。 言葉にしなくても通じ合う文化。 水を分け合い、力を合わせなければ暮らせなかった稲作の村。

ただ、こんなふうにも考えられないだろうか。

井上毅が『古事記』の中に「知って治める」という理念を見出したのは、 彼自身が、相手を知ることを大切にする社会の中で育った人だったからではないか。

だとすれば、思想が私たちの行動をつくったのではない。 もともと私たちの中にあった感覚が、「シラス」という古い言葉に映し出されたのかもしれない。

――これは私の想像だ。 でも、そう考えると、あの浜の神話が少し身近に感じられる。

海の向こうの友人へ

この話を、日本人と一緒に働く海外の人たちにも知ってほしいと思っている。

日本人がすぐに答えないとき。 それは多くの場合、意見がないのではない。 まだ「知ろう」としている途中なのだ。

そして、いったん相手と状況を知り、納得すると、 その後の動きは驚くほど早く、粘り強い。 最初の「遅さ」は、あとで覆さないための準備でもある。

もし日本人と仕事をするなら、こんなことを試してみてほしい。

  • 結論を急かす前に、背景や事情を先に共有する
  • 会議の場だけでなく、その前後に気軽に相談する
  • 答えを求めるとき、考える時間を渡す

あなたのことを知る時間を、相手にあげること。 それが、日本人と信頼を築くいちばんの近道かもしれない。

おわりに

「日本人は自己主張しない」

これからそう言われたら、私は少しだけ言い返してみようと思う。

主張しないのではなく、まず知ろうとしているのだ、と。 そして、その感覚は遠い神話の浜辺にまでさかのぼれるかもしれない、と。

知ってから、動く。

それは弱さではなく、ひとつの誠実さなのだと思う。

いつか出雲の稲佐の浜を訪ねて、あの神話の海を眺めてみたい。 あなたなら、そこで何を「知る」だろうか。


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