築地大橋のたもとから上流を眺めて、千年の時の流れを感じた

 築地大橋に立つと、隅田川は静かに上流へと続いている。海から最も近いこの橋から眺める川面を見ながら、ふとこの川がたどってきた長い歴史に思いを馳せた。



平安貴族の憧れの地だった隅田川

隅田川がはじめて文学の舞台として脚光を浴びたのは、平安時代初期に成立した『伊勢物語』第九段「東下り」だった。

京を離れ東国へ下る主人公(在原業平がモデルとされる)は、隅田川のほとりで渡し守から「都鳥」という白い鳥について尋ねられる。その名にちなんで詠んだのが、

「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」

という歌である。「都」の名を持つ鳥に、都に残してきた愛する人の安否を問いかける――この一首に同行者たちは皆涙したという。

実際に在原業平が東国まで下った記録はなく、物語上の創作とも言われている。それでも、この歌は後世に大きな影響を与え、隅田川は「都鳥」「言問」という言葉とともに和歌に繰り返し詠まれる歌枕となった。当時実際に隅田川を訪れた貴族はほとんどいなかったはずなのに、物語の力だけで「都人の憧れの地」になったというのは、なんとも興味深い。後の「言問橋」という橋名にも、業平という地名にもこの故事は今なお残されている。

江戸時代、庶民の行楽地へ

時代が下り江戸に入ると、隅田川は和歌の世界の存在から、実際に多くの人々が訪れる賑やかな名所へと姿を変えていく。

向島の三囲神社は文人墨客の集う場所となり、長命寺門前で売られた桜餅は隅田川名物として大変な人気を博した。

なかでも墨堤の桜並木は江戸有数の花見の名所となった。8代将軍徳川吉宗が享保年間に植樹を進めたとされ、花見シーズンには船で川を上り下りしながら両岸の桜を愛でるという遊び方が定着した。夏には両国橋周辺で納涼船や花火が楽しまれ、これが現在の隅田川花火大会の起源となっている。

こうした隅田川の賑わいを今に伝えているのが、歌川広重の『名所江戸百景』である。両国橋の花火や、大はしあたけの夕立、隅田川沿いの桜など、川辺の四季折々の情景が浮世絵として描き出され、江戸庶民の隅田川への親しみを視覚的に物語っている。

また、神田雉子町の名主であった斎藤月岑が、祖父・父の代から親子三代にわたって編纂を続け、天保5年(1834年)から同7年(1836年)にかけて刊行した『江戸名所図会』も見逃せない。長谷川雪旦による精緻な鳥瞰図の挿絵とともに、隅田川沿いの神社仏閣や名所旧跡が実地調査に基づいて詳細に記録されており、当時の景観を知るうえで貴重な資料となっている。

平安時代の「望郷の歌枕」から、庶民が舟遊び・花見・花火を楽しむ娯楽の中心地へ――広重の浮世絵や月岑の地誌が、この変化を後世にまで伝える大きな力になったと言えるだろう。

埋め立てとともに延びていった川

江戸時代、隅田川の下流に架けられていた橋は、両国橋(1661年)、新大橋・永代橋(元禄年間)、そして町方によって架けられた吾妻橋(1774年)までだった。当時はこのあたりが河口に近い下流域であり、それより先は埋め立ても進んでいなかった。

しかし明治・大正・昭和と都市開発と埋め立てが進むにつれ、河口側にはさらに新しい橋が次々と架けられていく。勝鬨橋(1940年・かつては可動橋として有名)、佃大橋(1964年)、中央大橋(1993年)、そして東京オリンピックに合わせた道路整備で架けられた築地大橋(2018年)――現在、隅田川最下流に位置するのがこの築地大橋である。

千年で変わったもの、変わらないもの

平安時代の歌人たちが思い描いた隅田川の河口は、おそらくまだ海に近い湿地帯だったのだろう。それが千年の間に埋め立てられ、陸地となり、そこにいくつもの橋が架けられて、今では最も新しい橋のたもとに立って上流を見渡せるようになった。

物語だけで「憧れの地」となった平安の隅田川。舟遊びと花見で賑わった江戸の隅田川。そして埋め立てによって姿を変え続けてきた現在の隅田川。

築地大橋から上流を眺めれば、その先には言問橋や吾妻橋、さらに千住大橋へと続く長い川筋がある。一つの川でありながら、そこに重なる千年の時間の層を思うと、ただの川面が急に違って見えてくる。在原業平が都鳥に問いかけた歌も、吉宗が植えさせた桜並木も、広重が描いた百景の一場面も、月岑が実地調査の末に記した名所旧跡の数々も、すべてこの同じ水の流れの上にあったのだと思うと、不思議な感慨がこみ上げてくる。

補足:築地市場跡地の再開発

築地大橋のすぐそばには、もうひとつ大きな変化の渦中にある土地がある。2018年に豊洲へ移転した旧築地市場の跡地だ。三井不動産を代表企業とする事業者グループが約9000億円を投じる「築地地区まちづくり事業」として、約19万平方メートルの敷地に計9棟の施設を建てる計画が進められており、総延べ面積は約126万平方メートルに上るという。

この再開発は1期工事が2026年度から32年度、2期工事が33年度から38年度に行われ、1期は32年度、2期は38年度に供用開始の予定で、2026年度には基盤整備が始まり、27年には隅田川沿いに先行して舟運・シアターホール複合棟の工事が始まる見通しとなっている。築地川沿いには新たな船着場も整備され、東京都が2029年度に開設する隅田川沿いの船着場の機能を補完する計画もあるそうだ。

江戸時代には舟遊びと花見で賑わい、昭和には「日本の台所」として食文化を支えた水辺の土地が、令和の時代に再び水辺空間を生かしたまちへと生まれ変わろうとしている。築地大橋のたもとから上流を眺めるこの景色もまた、数年後にはまったく違う表情を見せているのかもしれない。平安の歌枕、江戸の名所、そして令和の再開発――隅田川の岸辺は、いつの時代も人々の営みを映す鏡であり続けているのだと、改めて感じる。




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