池のほとりで感じる、数千年の歴史ロマン――六本木ヒルズ・毛利庭園にて

 東京のど真ん中、六本木ヒルズの喧騒をほんの少し離れると、静かな池が広がる庭園がある。その名も毛利庭園

今日はここで、しばらく池のほとりに腰を落ち着けてみた。水面に映る緑を眺めていると、ふとこの場所が背負っている歴史の重さに気づき、気がつけば遠い時代へと思いを馳せていた。




なぜここに「毛利」庭園があるのか

六本木に毛利?と思う人も多いかもしれない。実はこの土地、江戸時代には長州藩・毛利家の下屋敷があった場所なのだ。広大な敷地には池泉回遊式の大名庭園が広がっていたという。

その後、明治の陸軍用地、戦後のテレビ朝日敷地を経て、2003年の六本木ヒルズ開発の際に、かつての庭園の面影を復元する形で整備されたのがこの毛利庭園だ。中央の池は江戸時代の池をそのまま活かしているとも言われる。

名前だけでなく、水そのものにも歴史が宿っている場所なのだ。




毛利家のルーツをたどる旅

では、その毛利家はどこから来たのか。ここからが、歴史ロマンの本番である。

毛利氏の祖先は大江広元(おおえのひろもと)。彼はもともと京都の公家・官人で、卓越した行政手腕を持つ文官だった。源頼朝に招かれて鎌倉に下向し、幕府の政所別当として鎌倉幕府の屋台骨を支えた人物だ。

その大江広元の四男・大江季光が、相模国(現在の神奈川県厚木市あたり)の「毛利荘」を領したことで「毛利」を名乗り始めた。「毛利」という名字の発祥は、実は山口でも広島でもなく、神奈川県なのである。

その後、毛利氏は安芸国(広島県)へと移り、戦国時代に毛利元就が中国地方の覇者へと成長。そして長州藩(山口県)の藩主として幕末まで続き、あの明治維新の中心勢力となっていく。


さらに古へ――野見宿禰という浪漫

しかし、歴史をさらに遡ると、もう一つのロマンが待っている。

大江氏は**土師氏(はじし)の後裔とされ、その土師氏の祖として伝わるのが、古墳時代の人物野見宿禰(のみのすくね)**だという説がある。あくまで「説」ではあるが、もしそれが本当だとしたら――。

野見宿禰といえば、力士にして相撲の神様。垂仁天皇の時代に当麻蹴速(たいまのけはや)と力比べをしたという伝説の人物で、今も相撲界にその名が生き続けている。また、埴輪の創始に関わったとも伝えられる。

その子孫が土師氏となり、一族は分岐して菅原氏(菅原道真の家系)や大江氏を生む。大江氏から大江広元が生まれ、その子孫が毛利氏となり、戦国の世を駆け抜け、明治維新を成し遂げる――。

古墳時代の力士から、日本の近代化まで。

一本の糸で繋がっているとしたら、これほどのロマンはない。


この池のほとりで散った、赤穂浪士たちのこと

実はこの毛利庭園の地には、もう一つ、日本史に刻まれた出来事がある。

元禄15年(1702年)、吉良義央の屋敷への討ち入りを果たした赤穂浪士47士のうち、岡嶋八十右衛門ら10名が、この毛利甲斐守邸に「お預け」となった。細川・毛利・松平・水野の四家に分けて預けられた浪士たちは、幕府の沙汰を待ちながらここで時を過ごし、翌元禄16年(1703年)2月4日、この地で切腹して果てた。

ただ、ここには少し複雑な背景がある。

他の預かり先(細川家や水野家)が浪士たちを手厚くもてなしたのとは対照的に、毛利家は彼らを罪人として冷遇したと伝わる。その理由として、毛利師就(もろなり)が江戸城の松の廊下で乱心した水野忠恒に刃傷を受けた際、吉良義央に倣って刀を抜かずに耐え、重傷を負いながら一命をとりとめた――という経緯があり、毛利家にとって吉良は「正しき武士の手本」だったともいわれる。

その毛利家の意向を今も引き継いでいるのか、この庭園には赤穂浪士を称える墓や碑が一切存在しない。六本木ヒルズを運営する森ビルもその方針を踏襲しているという。

忠義の士として民衆に称えられた赤穂浪士が、この静かな池のほとりで最期を迎えながら、その痕跡をまったく残していない。そのことがまた、歴史の皮肉であり、奥深さでもある。


目の前の池は静かに光を受けて揺れている。

江戸の大名が眺めたであろうこの水面を、令和の今も同じように見ている。その水が映してきた時間の長さを思うと、なんとも言えない感慨が胸に広がる。

東京のど真ん中に、古墳時代から続く歴史の余韻が漂っている。毛利庭園はそんな、ちょっと不思議な場所だ。

六本木に来たら、ぜひ少しだけ立ち止まって、この池のほとりで歴史に耳を澄ませてみてほしい。




📍 毛利庭園 / 六本木ヒルズ(東京都港区六本木)

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