茨城の豊かな土壌は巨大な神様からの贈り物

 常陸の国は、広い。

どこまでも続く平野、海からの風、そして豊かな実りの田んぼ。今でこそ人々はその恵みを当たり前のように受け取っているが、古老たちはこう語り伝えてきた。この土地の豊かさは、はるか昔に生きたひとりの巨大な神様が残してくれたものだ、と。


その名をダイダラボウといった。

どれほど大きかったかといえば、丘の上に腰を下ろしながら、遠く離れた海岸まで手を伸ばして大蛤をつまみ上げるほどだった。空がまだ低かった頃には、頭がつかえて窮屈そうにしていたという。



ダイダラボウは気まぐれに歩いた。一歩踏み出すたびに大地がくぼみ、そこに水が溜まって沼や池になった。立ち止まって休めば、その重みで丘ができた。悪意はなかった。ただ、存在するだけで、土地の形が生まれていった。


ある朝、ダイダラボウは海辺に座って朝食をとった。

手のひらで海水をすくい、蛤や牡蠣を口に放り込んでは、殻をぺっと吐き出した。それを何度も繰り返すうちに、吐き出された貝殻が積み重なり、やがて小高い丘になった。大串の貝塚である。

村人たちはその丘を見て最初は驚いたが、やがて気づいた。貝殻の積み重なった土は、不思議なほど肥えている。その周辺で育てた作物は、他の場所より甘く、実りが豊かだった。ダイダラボウが無造作に吐き捨てた貝殻が、長い年月をかけて土に還り、大地を豊かにしていたのだ。

誰も頼んでいなかった。ダイダラボウはただ、腹を満たしただけだった。それでも大地は確かに、潤っていた。


別の日には、こんなことがあった。

南の山が大きすぎて、村に日が当たらなかった。田んぼは日陰になり、稲が育たず、村人たちは毎年の実りに不安を抱えていた。

思い切ってダイダラボウに声をかけた老人がいた。

「ダイダラボウ様、南の山を少し動かしてはもらえませぬか」

ダイダラボウはしばらく黙っていた。それからゆっくりと立ち上がり、山を両手で抱えると、北の方へ静かに置き直した。それだけだった。礼も求めず、見返りも求めず、また元いた丘に戻って、遠い海を眺めていた。

翌年から、村の田んぼには穂が鈴なりに実った。


ダイダラボウはやがていなくなった。

どこへ行ったのかは誰も知らない。ただ、その足跡は大地にくっきりと残り、水を湛えた池になった。食べ散らかした貝塚は丘になり、土地を肥やし続けた。動かした山は今も北の空を支えるように立っている。

何一つ、語りかけてはくれなかった。何一つ、説明してはくれなかった。

それでも常陸の人々は知っていた。この広い平野も、豊かな海も、実りの田んぼも、あの巨大な背中が通り過ぎた後に残されたものだということを。

神様というのは、そういうものかもしれない。人間に向かって何かを語るのではなく、ただそこに在って、去っていく。そして後には、取り返しのつかないほどの豊かさだけが残る。

常陸の土を踏むとき、古老たちはいつもそっと思った。

——これは、もらったものだ。

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