1300年前の渡来人から学ぶ、これからの日本の共生のかたち ── 埼玉県日高市・高麗神社を訪ねて
埼玉県日高市にある高麗神社(こまじんじゃ)を訪ねてきました。
創建1300年、高句麗からの渡来人を祀るこの神社は、単なる古社ではありません。
そこには――
異文化共生の壮大な成功物語が刻まれていました。
そして参拝を終えた今、その物語は、人口減少と外国人労働者の受け入れに揺れる現代日本にこそ、重要な示唆を与えてくれるのではないか――そう感じています。
01祖国を失った王の物語
高麗神社の歴史は、7世紀の東アジア情勢にまで遡ります。
紀元前37年ごろから7世紀にかけて、中国東北部から朝鮮半島北部に栄えた大国――高句麗(こうくり)。
しかし7世紀後半、唐と新羅の連合軍に挟み撃ちにされ、668年に滅亡しました。
その中の一人が、主祭神となる高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)です。
若光は高句麗からの使節として日本に派遣されましたが、滞在中に祖国が滅亡。二度と故郷の土を踏むことができないまま、日本にとどまることになりました。
そして716年(霊亀2年)――
大和朝廷は駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7か国に住んでいた高句麗人1799人を武蔵国に集め、「高麗郡」を設置します。
若光は初代の郡長に任命され、未開の武蔵野の開拓に生涯を捧げました。
若光の死後、その遺徳を偲んで建てられたのが――高麗神社です。
02立派な鳥居と「出世明神」の伝説
参道に立つと、青空に映える立派な鳥居と「高麗神社」と刻まれた社号標が出迎えてくれます。
境内は手入れが行き届き、1300年の歴史を持つ古社でありながら、清々しい空気に満ちています。
この神社は「出世明神」としても全国的に知られています。
理由は――
大正時代以降、参拝した政治家が次々と総理大臣に就任したからです。
| 総理大臣 | 就任時期 | 備考 |
|---|---|---|
| 若槻礼次郎 | 第25代・28代 | 参拝からわずか4か月で就任 |
| 濱口雄幸 | 第27代 | 「ライオン宰相」 |
| 斎藤實 | 第30代 | 5・15事件後の挙国一致内閣 |
| 平沼騏一郎 | 第35代 | 司法畑出身の重鎮 |
| 小磯国昭 | 第41代 | 太平洋戦争末期に首相 |
| 鳩山一郎 | 第52・53・54代 | 自由民主党の初代総裁 |
文化人では尾崎紅葉、太宰治、坂口安吾、檀一雄なども参拝した記録が残っています。
参道近くには――
「出世橋」という橋まで架かっていて、ご利益への期待が高まります。
03天皇陛下の参拝 ― 創建以来初めての出来事
2017年9月、当時の天皇皇后両陛下が私的旅行として高麗神社を参拝されました。
これは――
創建以来初めての天皇親拝であり、韓国でも大きく報じられました。
日韓関係が複雑な時期に、あえてこのタイミングで参拝されたことには、両国の長い交流の歴史に光を当てる意味が込められていたと言われています。
041300年・60代続く驚異の家系
境内の裏手には、国指定重要文化財の高麗家住宅があります。
慶長年間(1596〜1615)頃に建てられた茅葺き入母屋造りの建物で、東日本の民家としては最古級。
この住宅に住んでいた高麗家こそ、高麗王若光の直系の子孫です。
驚くべきことに――
若光から数えて現在の宮司は60代目。1300年にわたって血脈が途絶えず、同じ場所で先祖を祀り続けているのです。
世界的に見ても、これほど長く続く家系は極めて稀。
日本最古の企業・金剛組(約1400年)と並び、まさに――
「生きた歴史」と言える存在
05静謐な山頂の水天宮
境内の小高い山の頂上には、末社の水天宮が祀られています。
本殿脇から山道を10分ほど登ると、杉木立に囲まれた静かな祠が現れます。
御祭神は安徳天皇。江戸時代に東京・人形町の水天宮の御分霊を勧請したものと伝えられていて、安産・子育て・無病息災・水難除けにご利益があるとされています。
注目すべきは――
この水天宮の鎮座地が江戸時代以前から地域の重要な拝所だったということ。山岳信仰の聖地に、後から水天宮が祀られたと考えられています。
たしかに、登り切ったときに感じる「古代のような空気」は、決して気のせいではないかもしれません。
06なぜ衝突なく共存できたのか
参拝しながら、ふと疑問が浮かびました。
1300年前、1799人もの外国人がいきなり移住してきて、先住の日本人と衝突はなかったのだろうか?
調べてみると、驚くべきことに――
大規模な衝突の記録はほとんど残っていないのです。
なぜ古代の人々はこれを実現できたのか。理由は大きく7つあると考えました。
① そもそも未開拓地だった
高麗郡が置かれたのは、入間郡の「閑地」――まだ人があまり住んでいない未開拓の山あいの土地でした。既存の日本人集落を奪ったわけではなく、最初から衝突が起きにくい構造が設計されていました。
② 朝廷の戦略的な計画
朝廷は単に難民を放置したのではなく、外交上の意義(高句麗系を尊重する姿勢を東アジアに示す)と、実利(東国の開発)の両方を狙い、緻密に計画していました。
③ 渡来人への手厚い保護
渡来人には田地と食料が支給され、終身にわたって税が免除されました。先住の日本人から見ても「いきなり来て土地を奪った」のではなく「朝廷の指示で計画的に入植してきた特別な集団」という認識だったはずです。
④ 「先進技術」が地域を豊かにした
高句麗系の人々は、須恵器、養蚕、機織り、医学、仏教など、当時としては最先端の技術を持っていました。これらは地域全体を豊かにし、共栄の基盤となりました。
⑤ 文化的中心地としての発展
高麗郡内には次々と寺院が建立されました。これは武蔵国では珍しいことで、単なる入植地ではなく文化的・宗教的な拠点となっていったことを示しています。
⑥ 若光の卓越した指導力
伝承によれば、若光は王族の教養を持ちながら「村人たちをいたわった」とされています。だからこそ、死後に神として祀られました。憎まれていた人物が神になることはありません。
⑦ 影響圏が縮小ではなく拡大していった
建郡当初100戸だった高麗郡は、平安・鎌倉時代を経て1180年後には飯能、日高、入間、狭山、鶴ヶ島、川越まで広がりました。
対立して縮小したのではなく、共に発展して拡大していった――これこそが「共存共栄」の何よりの証拠です。
07現代日本へのメッセージ
ここからが、今回の参拝で最も考えさせられた部分です。
現代の日本は、少子化と人口減少の中で、外国人労働者の受け入れが急速に進んでいます。
一方で――
文化や生活習慣の違いから生じる小さな衝突、治安への不安なども聞こえてくるようになりました。
1300年前の渡来人と先住民が成し遂げた共存共栄から、私たちは何を学べるのでしょうか?
| 1300年前の知恵 | 現代への示唆 |
|---|---|
| 計画的な受け入れ体制 | 住居・仕事・地域社会への参加を社会全体で設計する |
| 「価値ある人材」として迎える | 「安い労働力」ではなく「豊かにするパートナー」へ |
| 信頼できる橋渡し役 | 両文化を理解する「現代の若光」が摩擦を減らす |
| 住み分けと交流のバランス | 隔離でも完全同化でもない柔軟な設計 |
| 相手の文化を敬う | 文化的アイデンティティを尊重する姿勢 |
| 世代を超えた長期視点 | 子どもの教育を含めた未来設計 |
そして最も大切なのは――
異質な人々を受け入れることは、社会を弱めるのではなく、豊かにするという確信を、受け入れる側が持てるかどうか。
高麗郡が1300年続く成功例になったのは、朝廷も地域の人々も「彼らがいることで自分たちも豊かになる」と心の底で信じられたから。
これは制度の問題以上に――
社会全体の心構えの問題なのです。
08静かに語りかけてくる神社
もちろん、1300年前と現代では社会の規模も複雑さも違います。
1799人と、現在の在留外国人約350万人では、課題の質が全く異なります。
当時の渡来人は祖国を失った人々でしたが、現代の外国人労働者の多くは送金して帰国するつもりで来ています。
それでも――
1300年前の人々が成し遂げたことには、現代の私たちが学ぶべき本質的な知恵が詰まっています。
立派な鳥居、清々しい境内、緑に包まれた高麗家住宅、山頂の静かな水天宮。
今日訪れた一つひとつの場所が、「異文化共生の成功例の生き証人」として、今も静かに語りかけてくれている気がしました。
1300年前の高麗郡の人々ができたことを、現代の私たちにできないはずがあるでしょうか?
異質な存在を「脅威」と見るか、「豊かさの源」と見るか。
その選択が、これからの日本の50年、100年を決めていく――そんな気がします。
◆ 高麗神社 アクセス情報
- 所在地:埼玉県日高市新堀833
- アクセス:JR川越線・八高線「高麗川駅」から徒歩約20分
- 駐車場:無料(400台、大型バス可)
- 参拝時間:境内は24時間/祈願受付・神札授与は8:30〜17:00
- 公式サイト:https://komajinja.or.jp/
◆ 周辺の見どころ
- 高麗家住宅(国指定重要文化財)― 高麗神社境内裏手
- 聖天院勝楽寺 ― 高麗王若光の墓所がある古刹
- 巾着田 ― 秋の彼岸花の名所として有名
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